※コピー本「軌跡」の草稿。エッチシーンがない為没に…





「お前は殺しの天才だな」
 感嘆を込めて、本当に感心されて言われた。
 ルルーシュに殺意を覚えるのはこういう時だ。目を細めて彼を一瞥した後、手の中の剣の柄をぐっと握り締め強く振り、血を払って鞘に収める。
「おい、俺は褒めたんだ」
 笑いを含んだ声には答えず周囲に倒れ伏している躯を見つめる。華美に造られた白亜の宮殿に血の赤はことさら目立つ。近くの真っ白な柱は銃弾に抉られ醜い傷をさらし、夥しい返り血に濡れている。綺麗になるのだろうかという無意味な心配をしてしまう。
「血の海という言葉は、いったい何時誰が思いついたんだろうな?」
 スザクの足元の血で完全に覆われ素材が大理石だということがわからなくなっている床を呆れたように眺め、明らかに面白がっている口調でルルーシュが呟く。
「君の祖先の誰かじゃないのか」
 不愉快さに黙っていられず返すと、我が意を得たりといったような笑みを向けられた。
「思いつかなくとも、何度も作ったことは確かだな」
 あやうく殺されかけたというのにどこまでも冷静だ。彼の前に出て庇う瞬間に見た彼の顔は、自分の命を狙う相手を前にして何の表情も浮かんでいなかった。いや、一瞬何か浮かんでいたかもしれない。嘲笑に似た何か。
 死に行く相手への憐憫か、侮蔑か。まさか死んでもいいとでも思っていたのだろうか。そこまで考え、スザクは考えることを放棄した。ルルーシュのことを考えるのは時間の無駄だと思うことにしている。彼はいつだってスザクの予想の外にいるのだ。
「ルルーシュ、怪我は?」
「見ての通りかすり傷ひとつないさ。お前と、ロイヤルガードが盾になったからな」
 ルルーシュは今日の天気のことを話すくらいに軽く言うと、廊下に無造作に散らばっている死体を、これもまた天気でも確かめるかのように無感動に見回した。
銃撃で蜂の巣にされた、先ほどまで人間だったもの。そして、スザクによって八つ裂きにされた襲撃者の肉の残骸がある。
 襲撃者はともかく、自分を身を挺して守ったロイヤルガードの死さえルルーシュは顔色を変えることはない。彼はポーンが取られたことで顔色を変えたりしない。内心どう思っていようとも。
 ロイヤルガードはルルーシュ皇帝の奴隷だ。
 替えがきく、きかないという点以外でスザクと差異のない存在。
「よかった」
 スザクはあえて彼らの死体を見なかった。数が8だということは知っている。
 スザクが選び、ルルーシュの側に置いているのは、ロイヤルガードの中でも特別に優秀な者だ。それでもこの場を生き残ることができなかった。
それは彼らにルルーシュのギアスがかかっていたからだ。ギアスがかかっていなければ、身命を挺してルルーシュを守るという呪いがかかっていなければ、万に一つでも生き残る可能性はあっただろう。
「護衛をすぐ補充するよ」
 ルルーシュはぞんざいに頷くと、通信機でロイヤルガードに連絡を取るスザクの横を通り過ぎ、事件を聞きつけて泡を吹いて集まってきた者達の前に出る。そして、スザクの代わりに事後処理の指示を出し始めた。
 ルルーシュは、彼が打ち出した政策に強硬に反対している貴族や財閥が集まった、今最も大きな派閥との会合の場に向かう途中だった。一触即発で戦闘になるところを、ルルーシュが交渉し彼らの条件下で会うことになったのだ。
 会合の場で全員、穏便に、ギアスで従わせる予定だった。
 彼らが何か仕掛けてくるのはわかっていた。だから、スザク自ら護衛に付いたのだ。ルルーシュは「一人で行く」と言っていたが、敵陣の真っ只中にたった独りで行かせられる訳がないと反対した。
 何か問いたげな目をした後、ルルーシュは「好きにしろ」と言って話を切り上げた。
「あそこから指示を出していたヤツはお前の鬼神ぶりに部下を捨てて逃げだしたぞ」
 ルルーシュは回廊の100mほど先にある、会合場所の塔の部分を指し示した。目の前に立つルルーシュの手には、白いレースのハンカチがあった。何に使おうというのか。純白の皇帝服には少しの汚れも見あたらない。襲撃にあった際の守られる側の基本は床に蹲ることだが、ルルーシュは突っ立ったまま微動だにしなかった。スザクは銃弾を剣で弾き飛ばし、襲撃者を切り伏せ狙撃することに手一杯だったため、内心罵りながらも彼を引きずり倒すことまで手が回らなかった。
「状況把握を自分の命よりも優先するのはやめてくれないか」
 スザクの叱責に「うるさい」という顔をしたルルーシュは、折り目正しくたたまれたハンカチをスザクの目の前にかざす。驚いて後ろに下がろうとしたら、右手首を捕まれふいの接触に体が固まった。
「ル…」
「たった一人に一個小隊を一瞬で全滅させられれば、イレギュラーに泡を吹いても仕方がない。…俺にも覚えがあるからな」
 ルルーシュは目を伏せてスザクと目を合わせないまま、ハンカチでスザクの左頬から首を拭った。突然顔に触れられたことに驚きながら、汚れのない白が目の前で瞬く間に暗い赤に染まるのを見る。返り血は顔にまで飛んでいたらしい。
 意識すれば全身が生温く濡れている。ルルーシュのそばは彼がまとう清涼な薫りが立ち上っており、それを吸い込んだスザクの鼻は急に自分や辺りに漂う異臭を強く感じだしてしまった。気持ち悪いと思い、だがどうしようもできないため不快感を頭から追い払う。
 何も感じないようにすることは、すでにスザクの日常の一部にあった。
「君でもそういうことがあるんだな。相手は?」
 スザクの問いにルルーシュは憮然として答えなかった。スザクの胸に血に染まったハンカチを押し付けると、きびすを返し足早に来た道を戻っていく。相手の反応に一瞬呆然としたスザクは、掴み取ったハンカチを握り締めると慌ててその後を追った。
「ルルーシュ、どこへ行くつもりだ?」
 スザクを横目で一瞥したルルーシュは、歩みを緩めず皇宮へと向かっている。
「おまえこそどこへ行くつもりだ?…暗殺が失敗し、事が露見した今、やつらは戦争の準備を始めているだろう。ぐずぐずしている暇はない。上空に待機させていたアヴァロンがもうすぐ中庭に着陸する」
 事が露見したということは、この短時間で襲撃者の遺体の身元を確認したということだろう。皇帝暗殺の罪で断罪する証拠を掴んだということだ。もしくはでっちあげたのかどちらかだ。
 ルルーシュの仕事は怖ろしく早い。思考に関していえば、早すぎて付いて行ける者は誰もいない。過去、彼の配下にあった黒の騎士団が、余りにも急成長する組織と社会的地位、そしてリーダーの奇抜で天才的な作戦に結局は疑心暗鬼になり離れたのも必然と思える。
 スザクを鬼神と呼ぶならば、彼はもっと怖ろしい何かだ。
「なぜ会合の場で襲わなかったんだ。押し込めて殺す方が楽なはずなのに」
 スザクのひとりごとのような言葉を聞きつけたルルーシュは、何がおかしいのか嘲るように「フン」と鼻で笑った。相手を馬鹿にする時の笑いだ。だが、不思議とスザクは馬鹿にされたのが自分ではないことがわかった。
 彼の元で動くようになってから、彼の気持ちが感じられることが多い。日本人の集まりである黒の騎士団よりもルルーシュを選んだ篠崎咲世子が、時折見せた彼の意を汲む態度が理解できる気がした。
 側にいれば、彼が何を考え動くか理解できる。彼は無駄な動きはしないのだ。
「決まっているだろう。お前がいたからだ」
「え?」
「つまり、最初の約束通り俺が護衛を付けず一人で行けば、奴らは形だけでも俺に会っただろう。譲歩案を引き出すことと、その場で殺すことも考慮に入れてな。だが、ナイトオブゼロとロイヤルガードを連れて行くとなれば話は別だ」
 ルルーシュの早口の回答を即座に理解することは難しい。
「僕が彼らを殺すと思われていたのか?」
 理解するにはできの悪い生徒のような質問をするしかない。
「まあ、有態に言えばそういうことだ。俺一人ならば会合の場で簡単にどうこうできるとたかをくくったのだろうが、軍神枢木スザクと俺の為に喜んで命を投げ出すロイヤルガードが一緒にいくことになり怖気づいたんだろう。俺を殺すことはできるかもしれないが、自分達の命も危険にさらされる。金と自分の地位と命を守ることだけに心血を注いできた腰抜けの奴らに、そんな状況で俺に会う度胸はないだろうよ」
「そうだったのか…」
 ルルーシュから彼らに一人で会うと言われた時、スザクの胸に去来した激怒に似た恐怖を言葉にするのは難しい。
 過去、主の命令に従ったために、主を失った経験があるからだと気付くよりも早く、ルルーシュが驚いて目を瞠るほどの激しさで反対していた。ルルーシュの意図がどこにあるかなど関係ない。彼の作戦を聞くつもりも起きなかった。
 絶対に喪えない。例え他者の命を犠牲にしたとしても。だから、後悔はなかった。
「僕のせいだね」
「いや、お前のせいではない。奴らにはギアスをかけてやる価値も無かったというだけさ。『明日』に必要ない遺物は排除していく。全て俺達の予定通りではないか」
 そう言って振り返ったルルーシュはなぜか優しい眼差しをしていた。声にはスザクをかばう響きさえあった。
 てっきり「そうだ。お前のせいで奴らは死ぬ」とでも言われると思っていたスザクは驚いて立ち尽くす。
「さて、これからお前に働いてもらうことになる」
 遠くアヴァロンのエンジン音が聞こえてきた。
「ああ、その為に僕がいる」
 迷い無く応える。
 粛清、その響きは好きではない。だが、彼の正義の剣となることを決めた時に、そんな甘い考えは全て捨てることにしたのだ。
 彼の道を切り開く。その剣となることを望んだのは自分だった。
「今度は血の雨を見せてもらおうか。俺の騎士、枢木スザクよ」
 道を切り開くことが、死体を積み重ねていくことだと、気付いた時には互いに戻れないところまで来ていた。
 では、先に進むしかないのだ。
「イエス・ユア・マジェスティ」
 スザクの答えに、彼はまるで聖人のように麗しい微笑を向けた。







『軌跡(草稿)』 2010/0515
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